代表プロフィール

PROFILE

はじめまして

ご興味を持ってくださり、ありがとうございます。私がどんな人なのかを知っていただけたら幸いです。

次元上昇お片づけプロデューサー 甲斐 理恵(かい りえ)

1983年8月24日生まれ。おとめ座のO型。動物占いはペガサス。
愛知県清須市に、小学校教員の夫、小学6年の長女、年中の長男と4人暮らし。
趣味はお酒を飲むこと。

  • 日本一ママを元氣にするチーム主宰
  • オンラインサロンRe:start 主宰
  • 断捨離検定3級
  • 企業30社、750名以上のサポート実績

学生時代

石川県能登半島にて、二人姉妹の長女として育ちました。
高校教師で忙しかった両親に代わって、海沿いの祖父母、曾祖母の家で過ごすことが多く、姑である祖母からも父からも、愛され大事にされていた母の姿を見てきました。
祖父母の家の近所には友だちも多く、まるでジャイアンのように、やんちゃでガキ大将だった私。
ちなみに、父が無類のきれい好きで、家はいつも片づいていました。

小3から始めたソフトテニスは高校卒業まで10年続け、全国大会3位入賞2回の実績がありましたが、実はテニスはそんなに好きではなく…
親元を離れた女子大生活では、厳しかったテニス時代の反動で、自由を満喫しました。
この頃から、友人がよく出入りするようになった一人暮らしの部屋で、片づけようとしてもうまく片づけられないという悩みを持ち始めます。

就職と転職

両親の影響か、教師を目指していたのですが、教員試験に落ちてしまい、まずは社会を知ろうと広告販促業界の営業として就職します。ところが実際は事務職で、希望にも特性にも合わず、辛い日々が続きます。ある日、自分のミスが原因でひどく落ち込んだ帰り道に寄った本屋で運命の1冊に出会いました。

株式会社新規開拓 代表取締役社長「朝倉千恵子」著書。普段活字を読まない私が食い入るように読んで、背表紙のセミナー案内を見つけます。迷わず有給を取って行ったそのセミナーで、不満だらけだった私の話を聴いてくださった朝倉社長に「あなたは何がしたいの?」と問われ、「営業、人と会う仕事がしたい」と答えた私。「環境を変えるのは他人じゃない。自分次第よ」その言葉をきっかけに、上司に自分の気持ちを伝え、受け入れてくれた、という経験をすることができました。

その後、誘い続けてくれた株式会社新規開拓、朝倉社長のもとに転職。
当時、リーマンショックからのトヨタショックでどの企業も不況の折、研修講座を買おうという前向きな会社はほとんどありませんでした。3か月で結果を出さなければならないという厳しい状況下、転職したての25歳が教育を語るには経験が足りなさ過ぎましたが、恩義と覚悟があった私は、死に物狂いで通い続けた会社で、期限最後の日に契約を結ぶことができました。

間もなく、学生時代からお付き合いをしていた夫と結婚、3年後には長女を出産。
育休復帰後は、役職もつき、年上部下もいたり採用も担当したりと、ますますがむしゃらに働いていました。私の母も朝早くから夜遅くまで教員として誇りを持って働いていましたが不思議と寂しさはなく、卒業生が家に遊びに来たり学祭に呼ばれたりする母の姿にもう一つの顔を見て尊敬し、私も「働くお母さん」になりたいと強く思っていたのです。

しかし、全国を営業で飛び回りながらのワンオペ育児は想像以上にしんどいもので、新築できれいだった家は、気が付いたらまさに汚部屋という名前がふさわしい状態に。二人目の不妊治療のプレッシャーも重なり、精神的にギリギリの状態でした。最後にしようと決めた治療で7年ぶりの子供を授かります。

コロナ禍の挫折

生後間もなく、コロナ禍に突入。休校になった小学2年の長女と、生後間もない長男との引きこもり生活。会社への恩返しにと、どうしてもやりたかったスキルアップ系の勉強も全くできず、思い通りにいかない子育てにいつもイライラしていました。自分が自分じゃなくなっていく感覚。長女に暴言を吐いたりと、歯止めが利かなくなっていき、ついに娘に手を出してしまったのです。はっと我に返って見渡したそのときの部屋の景色はグレーで色がなく、もやがかかったように見えたことを覚えています。

今のままではいけない。そう思った私は、断捨離のセミナーを受講、そしてママの心の在り方を学び始めます。
この二つの学びと実践で、仕事、理想の子育て、親の在り方など、外にばかり向かっていた矢印が、はじめて自分に向くようになります。
お片づけを通して、一つ一つのものが「自分なんだ」という感覚、自分を見つけていくような感覚を持つようになりました。自分が好きだから選ぶ、残す、その過程はとても愛おしい時間でした。
そして、空間を整えることで、自分と空間がつながっているということを実感しました。
空間が物であふれているときは、イライラの火種がそのまますぐに着火、爆発してしまっていましたが、空間が整っていることによって、感情が動いても「あぁ今私はイラっとしたんだなぁ」と客観的にイライラの火種を静かに内観ができるようになり、爆発する回数が格段に減ったのです。

お片づけの先にあるもの

お片づけをはじめて半年くらいたった頃、その実感をSNSに載せたところから、同じように悩むママたちから「教えて」という声が上がりだし、一緒にお片づけをするようになります。

そんな育休が終わり復帰したときには、自分のやりたいことがもうはっきりしていました。お世話になった会社を退職し、お片づけの仕事へと舵を切ったのです。

300人以上のママたちに寄り添うお片づけサポートをしながらも、もともと法人営業をしていた私は、ご縁があり法人でのお片づけをスタート。
ある日、サポート企業の男性社員から「家で自分のものを片づけたら、妻がすごく喜んでくれました~」という報告がありました。
私ははっとしたのです。
その頃、我が家のお片づけは、もはや子どもたちや夫が率先してやってくれるものになっていたし、お片づけだけではなく、家事全般が喜んで分担され、自分のことは自分でやる、という環境が作り上げられていました。無理をするでも恩着せがましくするでもない、お互いの支え合いで成り立っている関係性。汚部屋でのワンオペ育児でどん底だった自分を思い出し、ギャップに驚きました。こんな風になりたい、とずっとずっと思っていました。

思い起こせば、共働きで忙しい両親でしたが、きれい好きだった父のおかげで家はいつもきれいに整っており、母は仕事で忙しいながらもご機嫌な人でした。
祖母は、絶対に人の悪口を言わない、品のいい優しい人でした。リウマチの影響で自由に動きづらかった祖母を、「おばあちゃんはいてくれるだけでいいんだよ」とみんなが助けていて、祖母はいつも「ありがとう」と言っていました。
祖父母や両親が築いていた、感謝が循環する家族の関係性が、私の理想とするものだったことに気づいたのです。

まさに、ママがひとりで頑張らなくてもいい社会を作りたい。一つ一つのおうちのお片づけをすることとともに、企業でのお片づけ教育を導入していくことによって、パパもママもすべての人に思いが伝わると確信しています。「誰一人置いていかない」ということをモットーに、多くの方々のお役に立ちたいという想いで活動しています。